Gallery Kawafune ギャラリー川船


緑川俊一展
2005年2月12日(月) - 3月5日(土)
11:00-19:00
日・祭日休廊

 緑川俊一の「ダイナミズム・シリーズ」  橋 秀文

   今回の出品作を見て、これらは「レインボー・シリーズ」というのだろうと思っていたら「ダイナミズム・シリーズ」と呼ぶのだという。そんなことどちらだっていいという人もいるだろうが、おそらく、レインボーとダイナミズムの間にはとても密接な関係があるように思われる。
 虹色に輝く画面全体は、希望に溢れ、バラ色の人生を確約しているかのようにみえる。そこに描かれた人物たちは、どれも動きを持ったフリーハンドの線で生き生きと描写されており、虹色の水彩で色付けされて、雄勁な表現を獲得している。ここにレインボーとダイナミズムの抜き差しならぬ関係が認められる。
 緑川俊一の作品には、人物が何時も一人しか描かれていない。二人が仲むつまじく描かれることや、まして、群像で表現されることはない。顔を描くことにこだわりつづけてきた緑川俊一は、やはり、画面に複数の顔を描いたことはなかった。確かに孤高の画家ゆえに、一人の状態にこだわる緑川俊一はこうした孤独の人物を描くことに慣れ親しんできたといえよう。一つの顔や一人の人物を描くことに馴染んでいるのであり、身についてしまっているのだと思う。しかし、だからといって、画面に描かれた人物からみなひしひしと身に染みる孤独感が伝わってくるかというとすべてがそうだとは言い切れない。
 エドガー・アラン・ポーの短編小説「群衆のひと」やシャルル・ボードレールの散文詩『パリの憂鬱』のなかの「群衆」からは、現代人の孤独感を先取りした指摘が認められる。
150年も前の文学者が感じとった孤独感と21世紀初頭に生きる画家緑川俊一のそれとを同一視するには少し無理があるかもしれない。ポーらが感じ取った孤独は、群衆の中にいるからいっそう疎外感を覚えるというものである。この点では群衆と対峙させることのない緑川俊一の孤独感とは異なる。ただ、両者の共通した姿勢は、孤独に対して嫌悪感をいだいているのではなく、むしろ好意的であるということだ。
 ここでいう緑川俊一についての孤独という言葉には、無常という響きはない。絶望感というのも感じられない。では、緑川俊一の孤独感とは何なのだろうか。
 人間が好きなのだけれども、群衆の一人としてたむろすることも出来ず、ましてや、群衆のなかで、一人で孤独を享受することも出来ない。グループ行動がいやだったら、『方丈記』の鴨長明のように隠棲すればいいのに、そうもいかない。緑川俊一のみならず現代人の多くの人々が抱えている問題は、他人といるのが煩わしくて、一人でいたいのに、他人なしでは生きていられないというアンビヴァレンスな状態にあるということだ。その緊張感がたまらなくいいという人もなかにはいるだろうが、やはり、これは精神上の悲劇である。
 そして、悲劇は、精神の高揚を要求する。緑川俊一の画面をもう一度想い起こそう。この「ダイナミック・シリーズ」では、色彩と形態の絶妙な組み合わせによって見るものに高揚感を与えようとしている。もしかしたら見る人によっては、この画面から、至福感ないし恍惚感を味わおうとしているかもしれない。さらに描かれた頭でっかちの人物に侏儒を見出す人もいよう。こびとの描かれた絵がおめでたいという、例えば菊慈童のような伝統的な図像の意味が付帯されると、このイメージも慶賀に耐えないものになってくる。
 それでもいいのだが、そうはいってもやはり、緑川俊一の世界には孤独感が付きまとう。それは緑川俊一という画家が、30年前から人間存在を、絵を介して追求しようと厳しい態度で臨んだ精神修行に似た苦行を続けているところから生まれ出た孤独感なのである。この「ダイナミック・シリーズ」で色彩は明るく、人物もそれぞれ飄々とした姿で捉えられていながら、決して明るいユーモアにつつまれることがないのは、緑川俊一の生きる意味を厳粛に問い続ける一途さから来る雰囲気がそうさせるのであろう。
 ただ、生きる意味といった大きなテーマをかざしているようにも見えないところが、緑川俊一の芸術のいいところである。人物を捉えようとするしなやかな線は厳しさを緩和させているようにみえる。見るものを大きく包み込む、優しい線描は、長い修行で培われて得ることの出来た賜物である。
今後、緑川俊一はどの方向に進んでゆくのだろう。21世紀になろうとも、今もって、人間は一人で生れ、一人で死んでいく。集団自殺を図ろうとも死ぬ時は一人である。その孤独感は、今もって生きるという現実味を褪せさせることはない。その孤独を捨て去ることのできないリアリティのなかで、緑川俊一は生きる歓びをかすかに見出そうとしている。地上で生きていく上で、決して暗闇が続くことはなく、孤独の影を背負いながらも、日はまた昇るということを再確認することで生れたのが、この「ダイナミズム・シリーズ」であろう。虹色の帯の中に紛れた白いかけらは、光の破片となって乱反射している。緑川俊一が見出した新しい方向性といえば、この光につつまれた生命感であったのだろう。

                 (はしひでぶみ・神奈川県立近代美術館主任学芸員)

 

ダイナミズムシリーズ1 水彩・木炭・紙 H680xW475mm 制作年 1981-2002

「顔」 油彩・キャンパス F6 

「顔」 油彩・キャンパス H105xW80mm

「顔」 油彩・キャンパス H105xW80mm

ダイナミズムシリーズ2 水彩・木炭・紙 H680xW475mm 制作年 1981-2002

 

関連情報 2000.10 1999.10

 


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