Gallery Kawafune ギャラリー川船

無限のスキマ 鳥井林太朗 展
2006年2月20日(月) - 3月11日(土) 11:00-19:00 日・祭日休廊

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鳥井林太朗 インタビューはこちら!

自分は、俳句に興味があって例えば上の句と下の句の間にある「切れ字」といって、1句として意味を完結させるために、修辞的に言い切る形をとる語があるんですが、例えば「古池や蛙飛び込む水の音」の「や」、「秋の来る道つくるらん田草取り」の「らん」の類なんですけど。「切る事によって繋がる」その切れ字の役割をキャンバスの境に担わせているというか。基本的に、ぶった切れるのは、空間じゃないですか。空間的連続体を切ることによって無限に続く時間を超越させることができるのではないかと思ったんです。> > > 続き


無限の想像へのいざない

坂上桂子

 真っ赤に染まる大きな空のなか、果てしない大地を眼下に、重たい頭をようやくもたげ、騒々しく音をたて、勇ましく飛びたったはずの得体の知れぬ謎めいた鳥は、やがて吸い寄せられるかのように、「無限のスキマ」へと飲み込まれていく。あとに残されるのは、無限に広がる空と大地の、ただ寂寞とした風景だけである(《赤い空》)。「無限のスキマ」はどこにあるかわからない。それはどんなに大きく、どんなに深淵なのだろうか。ただ知りうるのは、これに遭遇したら、ひとたまりもない、ということだけだ。そう、あの巨大な鳥さえも。 鳥井の作品を貫くのは、「無限のスキマ」である。「無限のスキマ」は、時間も空間も、容赦なく次々と飲み込んでいく。華麗に舞う白い鳥(《絵画》)、猛獣の虎や妖艶なピンクの花(《花怖い虎》)、つかみどころのないふわふわの雲 (《空の青》)、そして蝶や花や僧侶?(《雨、そして未完の夢》)。すべては、「無限のスキマ」にからめとられる運命にあるのだ。何もかもを飲み込むスキマに、誰しもが恐怖を感じないではいられないだろう。「無限のスキマ」に、私たち自身、いつ遭遇するかわからないからである。

 「無限のスキマ」は、「時間」と「空間」の両方にかかわっている。連続的な時間も空間も、スキマによって、つねに切断を繰り返される。鳥井の作品では、作品の物理的構成自体が、こうした時間と空間の切断を暗示している。作品は、3枚から10枚ほどの縦長のパネルを並べて構成され、パネルの連結部分が、ちょうど「スキマ」となって、画面に描かれたモティーフを唐突に切り落としてしまう。したがって、作品はある意味で、一枚のパネルごとに独立しているのでもあり、さらにそれらが並列されて、全体としてまたもう一つの平面を構成するという二重の構造になっている。モティーフを画面の端で唐突に切り取ることによって瞬間性と同時に画面の外に広がる世界を暗示したのは印象派の画家たちだったが、ここでは切断された画面が、さらに次の画面と確実に連結されることによって、二枚の画面の間=スキマで、目にみえない時間と空間の「空虚」な存在が、より明確に暗示されることになる。私たちは、次から次へと連続して示された画面と画面の間のスキマにある何かを、すなわち[空白]の部分の世界について思いをめぐらし、想像することを、強く強制されるのだ。この目に見えない隠された「空白」を思わずに、作品を見ることはできないのである。

 ところで、この「空白」の時間と空間とは、パネルとパネルの接合による物理的裂け目が暗示するように、突然からめとられ消えてしまった、あたかも雪山で思いがけぬもクレバスに落ちてしまったような不意の切断を連想させる意味で、とりわけ恐怖の感覚をもたらすものでもある。鳥の首を切断し、僧侶の頭部を吸い込むスキマは、底知れぬ深遠な深みを感じさせる。そこには、何千年もの、何方キロもの果てしない広がりが隠されているのかもしれない。その意味で、これらの作品には、目に見えない無限の時間と無限の空間が内包されているのだ。

 このように[スキマ]による不意の切断は、一方で見えない世界の恐怖を暗示するものの、しかしながら他方描かれた部分では、「無限」の広がりと連続性を明示することによって、ゆったりとした流れ、静けさ、雄大さ、おおらかさ、そして官能性さえも感じさせながら、神秘的な詩情をうたいあげている。それは、ていねいに塗り込められ作り出された独特のマティエールによって生み出されているものでもある。
たとえば、《赤い空》においては、油彩による繊細なグラデーションの作り出すつややかな輝く表面が強烈な印象をかもし出している一方で、《雨、そして未完の夢》では、カルソンの厚紙に、パステル、木炭を重ね、最後にアクリル絵具で仕上げるといった複雑な手法で作り込まれた絵肌によって控えめに内省的なイメージを表出させている。また、これらのモノトーンの世界とは対照的に《花怖い虎》では、支持体のパネル自体の木目を生かしたプリミティヴで力強い素朴な背景の地の上に、サイケデリックで人工的な華やかな花、緑色の光る竹、うねる曲線を描く虎の強烈な黄色をあしらい、目を引く鮮やかでホップな画面を演出しているのである。

 こうしてみるとこれらの作品に、大和絵や墨絵を想起したとしても、また、たとえ実際その着想の源泉に長谷川等的の屏風絵があったとしても、それは、日本的といった簡単なくくりで説明されるものではすでになく、鳥井独自の新しい世界が形成されていることが理解されるだろう。手法の多彩さは、あたかも、「無限のスキマ」に広がる世界自体の無限の多様性を物語っているようでもある。両手を広げ誘い込むように美しく咲く妖しげな花に誘われて、賢明に飛びながらも、花に届くことなく、スキマの間に消え行く蝶のすがたは、たしかに「未完の夢」の表象なのだろう。
だが、未完とはいつの日かの完成を無限に夢想することを許す可能性を秘めたものでもある。これらの鳥や僧侶や蝶がやがてふたたび「無限のスキマ」からふと立ち現われるのを、私たちはただ、しばし画面の前にたたずんで待つとしよう。やがて再生の息吹がもたらされることを信じて。

(さかがみけいこ/早稲田大学文学部助教授)

 

コラージュ・ノワールNo.56 34.5x52cm
コラージュ・ノワールNo.40 44x30.5cm
コラージュ・ノワールNo.70 48.5x32cm
コラージュ・ノワールNo.5 43.5x24cm

夢見る夢 65x45cm
予期せぬ荷物 1997 65x50cm
チャオ ! 1997 65x50cm
意のコスモは流れ落ちる 1997 65x50cm
崖の上の遊び 1997 65x50cm
夢の出口 1997 65x50cm
人間的な花 1997 65x50cm

 


鳥井林太朗

1966
1989

1996

1999 9月

1999-2000
2000-2001
  東京に生れる
早稲田大学第一文学部卒業
銅版画アトリエ〈Atelier 63〉にて1年間版画を学ぶ(パリ)
フランス政府給費留学により渡仏
ア−ティストレジデンスくAsterids/La Friche〉(マルセイユ)
Aide individul le a la creattion (DRACプロバンス・フランス)より奨学金
【個展】
1998
   
   
2001
   
2002
   
   
2003
   
   
2005
2006
2月
9月
12月
4月
11月
3月
9月
10月
1月
10月
11月
6月
1月
2月
  「わざおぎ」ギャラリ一山目 BIF/東京
「ひらかれた夜」ギャラリーNW ハウス/東京
「彼を想へどもみえず」なびす画廊/東京
ギャラリー・ジャンフランソワメイヤー/マルセイユ
「深く身をかがめて」ギャラリー・アートポイント/東京
ギャラリー・ド・タブロー/マルセイユ
同原ポエムセンターCIPM/マルセイユ
Cinema Les Varieteエントランスギャラリー/マルセイユ
Passage de I' ART ギャラリー/マルセイユ
エスパス・エクルイユ/マルセイユ
La Minoterieエントランスホール/マルセイユ
「ぽちやん」エス・ギャラリー/東京
「ウサギの羽根に鳩がとまった」海画廊/東京
「無限のスキマ」ギャラリー川船/東京
【グループ展】
2000
2001


2002
9月
1月
4月
10月
7月
  Gallery ATANO/マルセイユ
タルブ現代アートセンター“Le Parvis” /フランス
トウールーズ現代美術館“Les Abbatoir” /フランス
Fiesta des Suds/マルセイユ
「1%アーティスティック」マルセイユ美術大学ギャラリー/マルセイユ

【公共制作】
2002 マルセイユ幼稚園内の壁【想像の庭】を1%アーティスティック基金より依頼されて製作

【コレクション】
2002 マルセイユ市Fonds Communalに『反復の庭』がコレクションされる。


 

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